三浦按針の家
2004年 08月 19日
平戸へ行ってみた。
日本史の歴史の教科書にでてくるときは、「長崎・平戸」と書いてあるので、なんとなくイメージ的に「出島」と「平戸」ってとても近いような気がしていた。
こんなに遠いとは。
100キロくらい離れているんじゃないのかなあ。出島のあった長崎市と、平戸って。
しかも、平戸って、離島、だよなあ。
クルマでいくと、有料の橋を渡らなくてはならなかったのだけど、ってことはオカネを払わなければ、市外にでられないってことなのか?
その「閉ざされている」風な感じが、旅情をかきたてられたりもする。
中心部を歩いていると按針の館というのがある。
オランダとの交易がはじまるきっかけとなる、漂着したオランダ船の航海長ウイリアム・アダムスこと、三浦按針。おお、ここはその家なのか~!!江戸時代の大きな梁、小さな庭の風情。いまは平戸市民の憩いの場となっているようで、碁盤が方々にある。
こんなふうに歴史上の人物が住んでいた家を感じると、急に歴史が自分のなかに溶け込むような錯覚がある。
うむ、この時代のオベンキョと観光を熱心なテーマのひとつにしよう。
この錯覚のキョーレツな体験を思い出した。
ちょうど、この南蛮貿易のころ。ポルトガルやスペインが日本にきたのはそもそもは、キリスト教の布教のため。で、最初に日本にきた宣教師といえば、そう、スペイン人のフランシスコ=ザビエル。鹿児島についた翌年には平戸にきて、熱心に布教開始した。
ミッション系の中高に通っていたためかもしれないが、このあたりのキリスト教関係の歴史はしつこく習ったので、なんだかザビエルは重要な歴史上の人物という刷り込みがある。しかし後年、よもや、そんなことがあろうとは。
そのザビエルに、会ったのだ。
あ、別に怖い話とかではなく。
いるんです。
インドに。ザビエルのミイラが。
しかも、ちっとも腐っていない。あれには本当にびっくりした。
聖人ってホントにいるんだな、という敬虔な気持ちになるって、あれは!
もとはポルトガル領だったインドのゴア。平戸のように教会も多い。
そのなかの世界遺産に指定されたボム・ジェズ教会に、それはある。
インド旅行はヒジョーに面白くて印象に残ることばかりだったが、そのなかでも特に驚いた。
その後調べたところによると、ザビエルの右腕は切断され「聖腕」と呼ばれてローマに安置。その腕、日本にもきて、最近では1999年に九州を中心に巡回してたらしい。
鹿児島では「ザビエルフェスタ」も開催されていた・・・・!!
行きたかった・・・・。